別れは客観的に悲しみましょう。
ゴールデンウイークも終わり、平常な生活に皆さん戻っておられると思いますが、連休明けの仕事の山がやっと片付いた頃でしょうか?
婿が日曜日にいよいよ海外赴任に立ちます。昨日、食事会後に握手の手を差し出しますと、そっとその手を両手で包み込んでくれました。
ごつごつした手の温もりを感じ、思わず涙がこみ上げてきて「泣きそうになるよ」とつぶやき婿の顔を見ますと、婿の目も真っ赤に潤んでました。
この時、「息子だな~ 」 としみじみ実感しました。 武骨で無口。娘と一緒に我が家に来ても、ほとんど喋りませんのであまりコミュニケーションは良くは取れてませんでしたが、人柄の良さは随時に感じることが多かったので、歳月の中で婿の存在は気が付かない内に大きくなっていたようです。 実の息子同様、可愛く頼もしく、信頼が心に根付きました。 娘と孫も秋過ぎにはパパの所に行きますので、その時の別れ様はどのようになるか、想像さえも今はしたくないです。 当たり前にいた人がいなくなることは本当に寂しいですが、3年の辛抱だからと言い聞かせてます。
全く話が変わりますが交際が終わりますと、どこかホッとする時と、いつまでたっても寂しさを引きずる場合があります。
ホッとする場合は、もう気持ちが次に向かってますね。 いままでの縛りから自由になったという解放感でしょうね。
いつまでも心がぽっかり空いているのは、今までの日常のありかたが無くなってしまったという寂寥感から来ることが多いです。
あなたはどっちのタイプでしょうか? もし後者なら、恋人がいなくなったことへの未練でない。自分はそんなに女々しい人間でなないと自分に言い聞かせ、代りの日常の埋め合わせを急ぎましょう。 失恋の痛手は次の出会いでしか癒えません。
それでもあの人以上の人は現れないと思うのは妄想です。 あなたが想う人ほどであればあなたを選んでくれていたはずです。
もし本当に縁がある人なら、互いにいろんな経験をしたあと運命のようにまた再開します。
まさに我が娘夫婦のように。 決別後、10年経っての結婚でした。