身近な人。
どして、私が?
前向きに明るく元気に健康で毎日過ごしていても、ある時病魔や事故に遭遇して一日で人生が変わってしまうということがあります。 まさか自分が? なんで私なの?
半信半疑。信じたくないのではなく信じられない。そういう気持ちがまずあり、そして持って行きようのない人生の理不尽さに口惜しさが募ります。 嘆くのではなく受け入れがたいということでしょうか…
それを受け入れ粛々と日々を過ごしていけるようになるまでには、想像を遙かに超える葛藤と向き合うことになるのでしょう。
未知ということは時には輝かしい期待であり時には暗黒のトンネルでもあります。
それに立ち向かうとき、人はやはり支えが必要です。
いままで一人で生きてきたと強がりを言っていた人も、この時ばかりはそうはいかないでしょう。
一番は家族の力です。 それも自分の家族。夫(妻) 子供ですね。
ある人が言ってました。「いつまでもあると思うな親とお金」 まさにその通りです。
親を頼るということは、やはり限界期があります。
友達を頼るのも、一定以上は遠慮があります。
信じられないことが起こり茫然自失になったときに、手を差し出してくれる。
家族の有り難さを気付くのは、悲しいかなそのような状況になった時しか分かりません。
「結婚する意味が分からない」と強気の言葉を発している人は、少しこのようなことも考えていただければと思います。