鉄と鋼とは。
ある小説の中で下記にような文章に目が留まりました。
「鉄の塊を真っ赤に熱して、それを大きな金槌で叩いて叩いて鍛えて、鋼ができあがっていく。
鉄を鍛えて叩くといろんな不純物が表に出てくる。それがある間は鉄は鋼にはならない。
そんな鉄で刀を造っても使いものにならない。鋼となった鉄でないと名刀にはならない。
人間も全く同じだ。
人間には厳しく叱ってくれる師匠が必要なのだ。
師匠は弟子を厳しく叱ることで、弟子の中の不純物を叩き出してくれる。」
叱られることに反感を持つ人。
叱られたことでひどく落ち込む人。
叱った人を恨む人。
理不尽なことで叱り飛ばされたりすれば、到底受け入れることができず
様々な感情の嵐が吹き、収まりがつかないこともあります。
しかし、子供から大人になる時期において、全く障害など経験したことがない。
心底怒られた経験がないとなれば、それば自分中心の尺度、価値観で物事を捉えていくという、ここでいう鉄の例えですが、不純物が出来てしまうのではないでしょうか。
成長過程において、なにがしらのトラブル、苦難を経験。あるいは道を誤りそうに
なったとき、身近にいた人に鍛えてもらった経験のある人は、不純物の量はまだ
少ないように思います。
そして成人しその後の人生を歩いていくなかで、経済苦、病苦、仕事苦。
人間関係における苦悩。 どれか一つには誰でも遭遇することでしょう。
「それが出てきたとき、人も鋼になるチャンスが訪れたのだ。
それが出て来ないと永遠に鉄のままなのだ。」と小説の中の文面は叫んでいます。
「人生には、なにもかもがうまくいかず、悲嘆に沈む時期も必要なのだ」と。
しかし、不純物を一度も吐き出さずに過ごしてきた人は、これを乗り越えていくのは
至難の業。 いや、死んでしまうかもしれません。
打たれ強い。 逆境を跳ね飛ばせる力をつけておかなければ「鋼になるチャンス」など
掴めません。
皆さんもこれから結婚して、子育てをしていく訳ですが、この鉄の例え話を時には
思いだし、人間力が培われるよう上手に子供さんを鍛えていってくださいませ。
今日は終戦記念日です。
あれほどの純粋な目をした若者。 凛々しい端正な顔。 今の若者にはいません。
死を覚悟しているからこその美しさでしょうか。
可哀そうで悲しくてたまりません。