ターニングポイント。
先日元部下で、今や、グリーンアドバイザーとしてテレビ出演や講師活動で全国を飛び回っている
Kさんと久しぶりに会いました。 元部下であったときは私のことを「女史」と言っては笑わせ、
サポートしてくれた、可愛い、ゆかいな人でした。
30歳半ばで3人のお子さんを育てながらのパート勤めでしたが、パートの域を超え、会社の事務効率を上げるためにコンピュター化を実現させました。パソコン等触ったことがないという従業員が圧倒的に多かった状況の中で、それを立ち上げるまでの苦難は筆舌に尽くしがたいものがあります。
今やごく普通のようにパソコンの前で業務をこなしていけるのは、彼女の立ち上げがあったからこそです。 その後に改善などに携わった人達もいますが、出来上がったものをさらに構築していくことと
無から作り出すことでは苦労の度合いがはるかに違います。
当然、上司である私も一緒には動いておりましたが、恥ずかしながら添え物程度でしたね。
でもある日、システムを作っている大手の企業に、 深夜彼女と男性の部下を連れ
乗り込んだ時のこと。無我夢中で啖呵を切り、こちらの言い分を通したことがありました。
これが唯一の私の働きでしょうか…
そのあと屋台のラーメン屋さんで3人で祝杯をあげたことが懐かしく思い出されます。
映画のシーンではありませんが、そのとき雪もちらほら降りだし…
でも やったーという充実感で心は熱かったです。 ちっとも寒くなかった。
なんだか思い出して泣けてきます。
どうして深夜の乗り込みになったかは、ごく単純です。
彼女が3人の子供たちにご飯を食べさてからの出陣になったから。
学歴が無くても、子供がいても、パートでも 気概、 信念、 熱意があれば会社は動かせる。
身をもってみせつけられた最大の貴重な体験でした。
彼女はそれだけでは終わりませんでした。
所詮このまま頑張ってもこの会社で自分が生かされるのはここまでと見切りをつけ、
潔く退職し次の道に進みました。それが今のグリーンアドバイザーという職業です。
彼女の人生のターニングポイント。全く違う園芸という道に飛び込んだわけですので
ここまで来るまでにそれ相応の大変さもあったようですが、
「皆の支えがあったからこそ」と言うだけで苦労話は一切出しません。
彼女の人間力というか、人を惹きつる物は確かに持っています。
人を動かす力があるのは一種の特殊能力ですが、 「無我夢中」になっているときは
何故か周りも動きます。
人生の中で、一度はこういう時期が皆あると思います。
あたなにもきっとターニングポイントがあります。
これをスルーしていては人生は楽しくないですよ。
このたび彼女は本も出して、新たな道が形となりました。
自分がやってきたことが形として残るということは、まずほとんどの人はありませんので、
いかに彼女がすごい人だと感服です。
今や肩書きには代表取締役と記され、「先生」と彼女のことをみんな呼びます。
こんな人と一時でも一緒に仕事ができたことが誇らしいです。
そして「今の私があるのは、あの時仕事を教えてくれた女史がいたから」と
おせいじにも言ってくれる彼女の優しさを有り難いと思います。
私はこれからも結婚のお世話の道を歩み続けます。
私にとってこの仕事に就いた時がターニングポイントでしたので
最大の大切なものとして取り組んでおります。
さて明日の朝は公園のお掃除当番。
孫が遊ばさせていただく公園ですので、しっかり草取りしてきます!
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