この瞬間の尊さ。
今読んでいる小説の出だしです。
「一度しか見られないものは、貴重だ。月並みだが、この意見には、大方の人が同意するだろう。
と、すると、時間と不可分に生きている人間は、その存在がそのまま、貴重だと言える。
なぜなら、生きている限り、人は変化し続け、今のこの瞬間の僕は、次の瞬間にはもう存在していないのだから。」
帰宅電車の中で読んだ文章は正直、心に深く留めておくものではありませんでした。
今まで見聞きしていた内容ということで、「そうだわな~ 」という感じでした。
翌朝、とんでも無いことが身に起こることなど、想像だにしていなかった訳でしたから….
凄まじい爆音が響きました。
音でこんなにも恐怖を感じるとは…あとでじわじわと来ました。
その時は何が何だかわからず、窓の外を見たら、なんと!
巨大クレーンの先端が我が庭に突っ込んでいる!
隣の新築工事での事故です。
巨大クレーンが横転し、我が家のフェンスを突き破り、車、庭木を直撃していました。
その朝に限り、庭仕事を早めに終え、家に入った直後でした。
もし同じ時刻に庭に出ていたら私は確実にこの世にいなかったと思います。
次の瞬間に存在が無くなる。 まさにそのようになるところでした。
不幸中の幸いだった。 命があっただけでも救い。
確かにそうに違いありません。
ただ、庭木や花壇は毎日、我流ではありますが、それなりに可愛がり丹精込めて育ててきました。
趣味の少ない私にとっては、心のよりどころでありました。
それらが無残になっている光景は辛かったです。
もうあの子たちが咲き誇る姿は見れないのだ…
人間ではないし、動物でもない。 ただの草木です。
でも、そこに命を繋いできたのですから、言い様のない寂しさがあります。
震災や事故で肉親を失った人の悲しみ、失意はいかほどのものか。
年数が経ち、関心は薄れていきますが、今一度、思いを寄せないといけないと実感しています。
そして存在自体の危うさ、明日のことは分からないということを身をもって経験し、今、この瞬間を生きていることの尊さを実感しています。